自身の場合は糖尿病が発覚した時点で既に腎症第二期早期であること
を意味する微量アルブミン尿期にも差し掛かっていたのは周知のこと。
指摘された当初は無知が故に危惧の兆しの微塵もありませんでしたが、
腎症が二期まで進行しているということは早期とはいえ若干なりとも
腎糸球体の濾過の機能が低下していることになりますので、通常の
糖尿病性のものであれば非常に進行が早いことは有名で、大抵の場合
なら人工透析への将来も懸念しておく必要に迫られることになります。
我々は運動を行うときに呼吸数が上がる理由
しかしながら、上述した「通常」というのは既存の医療が推奨する
糖質過多としか言いようがないC:P:F比にして6:2:2の食事を大前提と
した場合であって、腎症二期であることが発覚しながらも糸球体の
濾過機能低下によって取りこぼされたアルブミン量の指標である
尿中アルブミン/クレアチニン比の上限を150mg/gCre(二期の基準値の
上限は299mg/gCre)に留めている自分の例を見ても理解に容易いように
酒を呑もうが蛋白質の制限など何処吹く風であろうが、血糖値上昇に
関与する唯一の栄養素である糖質の摂取さえ控えれば悠に二年を経過
した現在も尚糖尿病性腎症を悪化させることはありません。
まぁ、今更おさらいをするまでもありませんが、腎糸球体の仕組みに
ついて噛み砕いてみますと、腎盂内に対に配置された毛細血管の集合体
である糸球体は言わば血液循環の最終ロータリーにみたいなもので簡単
に言ってしまえば尿と一緒に排泄される老廃物と再び血液循環に戻るべ
きものとを濾過によって振り分ける役目を果たしております。
なぜ朝食用シリアルは、ビタミンの偉大な源であるされている
なに故振り分ける必要があるのかと言いますと、そこで問題視される
べきなのが血中には不可欠な存在であるアルブミン主体の高分子蛋白
が所変われば毒となりの何とやらで、万が一にでも尿路に頻繁に入り込
んで蓄積を重ねてしまった際の最悪の場合には尿毒症等の命に関わる
弊害を引き起こす原因になりかねないことでして・・・。
要するに腎糸球体は尿路にとっては猛毒と成り得る高分子蛋白質を濾過
によって遮断し必要不可欠である血中に再び戻すといった循環のあるべ
き姿を維持し続けるといった大役を担っているわけなんですね。
しかしながら大役を仰せつかっている故に非常に繊細であるのも確かな
ことで、糖尿病の発症によって日常的に高血糖に晒される機会が多くな
れば繊細な糸球体の微小血管は破れの危機に直面するか或いは既に破
れてしまったところに既存の医療推奨の高糖質な食事の摂取で更なる
高血糖の日常に曝されてしまうわけですから世間がいう「通常の食事」
が大前提でしかない常識なら糖尿病性腎症の脚の速さは止まりません。
どのような栄養素はジャガイモで見つかっていますか?
また、微量アルブミン尿期といえども蛋白質が尿に漏れ出していること
に変わりはないのだから早急に蛋白質の制限を考慮するべきなのではと
いう声が世間一般的な認識からならばまだしも、あろうことか医師から
も聞かされる機会に富んでいる相変わらずの昨今ですが、血管内皮への
障害の唯一のリスクファクターは高血糖のみであって早期腎症の内から
制限した蛋白質の比率分を糖質で補うなどはまさに愚の骨頂・・・。
勿論、三期以降ともなると濾過機能の著しい低下により一層の高分子
蛋白が尿路に漏れだしてしまい尿毒症などの危険の憂慮を優先せざる
を得ないため蛋白質の制限が不可欠になってしまうのですが、殆どの
場合に於いて腎症を三期にまで進行させてしまう要因が尿への蛋白質
の漏れを予防するために早くから蛋白質の制限を心掛けさせようとす
る短絡的な考えに固執した主治医逹なもんだから開いた口が塞がらん。
これは以前にも書かせていただいた内容と類似しているかも知れませ
んが、眼底視神経の毛細血管には万が一血管が破れた際の応急措置と
して自発的に血管を新生させる機能が備わっているらしいのですが、
新生された血管はといえば急拵えの何とやらの騒ぎではないくらい脆
い代物らしく糖尿病性の眼底出血を受けて新生された血管であれば
其れこそ「通常の食事」が前提でしかない場合、日常的な高血糖に
よって瞬く間に破れてしまっての元の木阿弥に過ぎません。
そうして視力低下の原因でしかない不要の藻屑と成り果てた毛細血管の
残骸を最後は人為的にレーザーで焼き払うことになるわけなのですが、
結局糖質過多な食生活を送り続ける将来しかないのなら、網膜の毛細
血管のスペアが底をつくのを早めるだけの挙句の果てで最終的には
眼の機能そのものが低下していくのを待つばかり・・・。
腎症に纏わるイメージの横行にしろ、視神経の再生能力の諸刃の剣に
追い打ちを掛けるだけの元の木阿弥にしろ、「通常の食事」という
根拠のない概念が及ぼす悲劇の連鎖の闇の何と深黒なことだろう。
せめて我々は高血糖への対応能力に乏しい限りの人体の機能の折に触
れ、高血糖という事態が人体にとって如何に想定外であったかの再認識
をすると同時に穀類主食の歴史の浅ささたるやを伺い知り、人類本来の
食性に沿った食生活をいままで通りに続けていくとしましょうか。
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