国立循環器病研究センター
心臓血管内科
特任部長 中西 宣文
"旅行者血栓症"を防ごう
もくじ
「エコノミークラス症候群」をご存じですか?
飛行機で長時間旅行したあと、飛行機を降りて歩き始めたとたん、急に呼吸困難やショックを起こし、ときには亡くなることもある-。これが「エコノミークラス症候群」と呼ばれる病気の典型的なケースです。
最近テレビや新聞などで、これまで健康だった人が突然死を起こす病気の一つとして時々取り上げられていますので、この病気の名前を聞いたことがある方も多いと思います。
飛行機のエコノミークラスで旅行すると、長時間狭い椅子に座ったままの状態を強いられることが多く、足の血液の流れが悪くなり、静脈の中に血の塊(静脈血栓)ができることがあります。この静脈血栓は歩行などをきっかけに足の血管から離れ、血液の流れに乗って肺に到着し、肺の動脈を閉塞してしまいます。これがエコノミークラス症候群です。怖い病気として1980年~1990年ごろから有名になりました。
この病気はエコノミークラスの乗客だけでなく、ビジネスクラス以上の乗客や、車の長距離運転手などにも発症することが知られてきましたので、「旅行者血栓症」とも呼ばれています。
ところで、医学的に足や下腹部の静脈に血栓ができる病気は「深部静脈血栓症」<図1>、この血栓が肺に飛んで肺の血管を詰めてしまう病気には「急性肺血栓塞栓症」という病名がついています<図2>。この「深部静脈血栓症」と「急性肺血栓塞栓症」は、一つの病気の異なった二つの側面を見ているだけですので、最近はまとめて「静脈血栓塞栓症」と呼ぶことも多くなっています<図3>。「エコノミークラス症候群」は、長時間の飛行機旅行によって引き起こされた「急性肺血栓塞栓症」のことなのです。
図3 深部静脈血栓症
「急性肺血栓塞栓症」はなぜ最近注目され始めたのでしょうか?
体中に張り巡らされた血管と心臓とで構成されている循環器系は、一時も休まず酸素と栄養を含む血液を体全体に供給する役目を持っています。循環器系に少しでも不調が生じると、たちまち生命に対し危険な状況が発生することがあります。急に命に関わる大きな発作が生じる循環器の病気として欧米では(1)急性心筋梗塞症(2)大動脈瘤/大動脈解離(3)急性肺血栓塞栓症の三大疾患が有名です。
わが国の急性心筋梗塞の発症率は、年間に10万人あたり30~40人とされています。一方、急性肺血栓塞栓症の患者さんの数は、日本ではこれまで非常に少ないと考えられてきました。ところが最近の調査では、急性肺血栓塞栓症と診断された人の数は近年、急に増加しており、発症者数は年間に10万人あたり約3人程度と報告されています<図4>。この数は急性心筋梗塞症と比較すると少数ですが、大動脈瘤/大動脈解離と同程度で、決して少ない数字ではありません。最近、これが急性肺血栓塞栓症が注目されてきた理由の一つです。
注目され始めた二つ目の理由は、この病気が、他の病気の治療目的でいろいろな薬を投与した際や、手術やカテーテル検査などを行った後に、予期せず合併し、しかも一度発症するとその死亡率が高いことが知られてきたからです。急性肺血栓塞栓症は他の病気と同様に自然に発病する例も多いのですが、何らかの医療行為が原因で発病する、いわゆる「医原性」と呼ばれる場合もあるのです。しかし、これは逆に適切な予防をすれば、100%ではありませんが病気の発症を防ぐ可能性があるということでもあります。
急性肺血栓塞栓症(静脈血栓塞栓症)の原因は?
どうして静脈の中に血栓ができ、これが肺へ飛んで急性肺血栓塞栓症になるのでしょうか? 一般に静脈に血栓ができる原因として以下の三つの条件が関係しているといわれています。
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1)静脈の血管が傷ついた場合
血液は異物に触れると固まる性質を持っています。血管の内側は血管内皮という特殊な細胞で覆われており、血液が異物と接触するのを防いでいます。このため血液が血管の中をよどみなく流れている場合は、血液が自然に固まることはほとんどありません。
しかし、血管が何らかの原因で傷つくと、血管内皮の膜が壊れ、血液が異物と接触して血栓ができます。骨折などで血管内皮が障害を受けた場合や、カテーテル検査・手術などで血管の中に点滴や輸血をするための管を長期間入れておく必要があった場合などに、血栓ができやすくなります。
2)静脈の血液の流れがよどんでいる場合
足の筋肉は「第二のポンプ」といわれ、筋肉が収縮・弛緩を繰り返すことで足の静脈の流れを促進します。だから歩行などの運動をすれば血液の循環がよくなります。しかし、病気で長期の安静が必要となったり、脳卒中後のまひで足が動かなくなったりした場合は、足の静脈の流れが滞り、血栓ができやすくなります。
エコノミークラス症候群のように、長時間椅子に座って足を動かさない場合も状況は同じです。また、大きな子宮筋腫や卵巣腫瘍、妊娠などでは腹部の大きな静脈が圧迫されて血の流れが悪くなります。このような場合も静脈血栓症の危険性が高くなることが知られています。
3)血液が固まりやすい体質を持っている場合
血液が普通の人と比較して固まりやすい体質の方があります。これには、生まれつきの場合(先天性血栓性素因)、何らかの病気によって、そのような素因を持ってしまう場合(後天性血栓性素因)があります。
先天性血栓性素因には、アンチトロンビン欠乏症、プロテインC欠乏症、プロテインS欠乏症などの血液を固める仕組みに障害のある病気が知られています。アンチトロンビン欠乏症の頻度は、全人口の0.2%、プロテインC欠乏症の頻度も0.2~0.5%程度と報告されており、決して少ない数字ではないことがわかってきました。これらの異常は血液検査をすると簡単に診断できます。何かの機会に一度測定しておくとよいでしょう。
後天性血栓性素因としては、抗リン脂質抗体症候群という病気が有名です。他には何かの悪性腫瘍を患っておられる方も血液が固まりやすい状態となっている場合のあることがわかっています。急性肺血栓塞栓症の患者さんの原因となる背景を検査していると、10~20%程度の頻度で何らかの癌が見つかるとも報告されていますから注意が必要です。
最近、日本でも「肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドライン」が発表され、危険因子とその強度の一覧表が公表されましたので参照してください<表1>。
表1 静脈血栓塞栓症の危険因子強度
肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)
予防ガイドライン-ダイジェスト版より
急性肺血栓塞栓症の症状は?
急性肺血栓塞栓症の症状の出方は、どの程度の大きさの静脈血栓が飛んできたかによります。比較的小さい血栓の場合はまったく無症状のことも多いといわれています。
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しかし、ある程度以上の大きさの血栓が肺動脈を閉塞すると突然、呼吸困難が生じます。肺の大切な役割は、ガス交換といって体の外から酸素を取り込み、二酸化炭素(炭酸ガス)を体の外へ吐き出す働きです。肺の血管が詰まると、呼吸によって肺の中まで入ってきた酸素が血液の中に十分取り込まれなくなります。この結果、血液の酸素の濃度が低下します。呼吸をしていても、実は窒息状態となっているのです。非常に大きな血栓が肺動脈に詰まると血液は全く流れなくなります。この場合は失神やショックを起こしてしまいます。急性肺血栓塞栓症の患者さんの80%程度は、主な症状が突発性の呼吸困難です。呼吸困難の発作は一回だけのこともありますが、数回発作が生じ、その度に状態が悪化する場合もあります。また約半� �の方で胸の痛み、10~30%で失神発作を経験されています。全身倦怠感、不安感、動悸、冷や汗などの症状が出現することもあります<表2>。
表2 急性肺血栓塞栓症 ―初期症状―
JASPER(肺血栓症研究会)2000
急性肺血栓塞栓症はどのように診断されるのでしょうか?
病気の診断は詳しく症状を聞くことから始まります。しかし急性肺血栓塞栓症はこの病気特有の症状が少なく、自覚症状のみでこの病気を疑うことは困難な場合が多いのが実情です。また重症の場合は突然、失神や心停止が生じますので、診断はさらに困難となります。
こうした条件に加え、急性肺血栓塞栓症がこれまで医師にもよく知られておらず、この病名を思い浮かべることができない場合が多いという背景もありました。そこで教科書には、この病気を正しく診断するには、まず「急性肺血栓塞栓症」という病気が存在することを知ることが必要である、と記載されているほどです。
急性肺血栓塞栓症の主な症状は呼吸困難です。そこで呼吸困難を訴えることが多い循環器の病気や呼吸器の病気を思い浮かべて、診断を決める検査が開始されるのが一般的です。
1)急性肺血栓塞栓症を推定する診断法
まず胸部のレントゲン写真や心電図、血液検査などが行われます。しかし急性肺血栓塞栓症は、レントゲン写真では一目見てこの病気であると診断できる特徴的な所見がほとんどありません。血液検査も同様ですが、最近、新鮮な血栓が体の中にできた場合に「ディーダイマー(D-Dimer)」という物質が血液の中に多く出現することが分かってきました。そこでこのディーダイマーを測定して高い値の場合、この病気の存在を疑うようになりました。
心電図では、不整脈や、比較的特徴的な心臓の右側(右心室・右心房)に負担がかかっている変化が記録されることがあります。しかし、この心電図変化は狭心症や心筋梗塞とよく似ているので、はじめは狭心症と診断される急性肺血栓塞栓症も少なくありません。
急性肺血栓塞栓症の最も特徴的なサインは、肺動脈が詰まったために生じる肺の酸素取り込み能力の低下と、これに伴って生じる頻呼吸を原因とする、血液からの過剰な二酸化炭素の排出です(低二酸化炭素血症を伴う低酸素血症といいます)。これは動脈血を分析することで確認できます。呼吸器の病気では、多くの場合、二酸化炭素を排出する能力が低下しています。そこで二酸化炭素はむしろ体の中にたまる傾向があり、急性肺血栓塞栓症と他の呼吸器の病気を区別することはある程度可能です。
急性肺血栓塞栓症では血栓で肺動脈が狭くなっていますので、肺動脈へ血液を送り出している右心室に血液がたまり拡大します。この変化は、最近手軽にできるようになった心臓エコー検査を用いると簡単に見つけられます。また肺血流シンチグラムという方法で、肺に血液が流れていない部分が存在することを確かめることができます。
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2)急性肺血栓塞栓症を確定する診断法
動脈血の分析や心臓エコー検査、肺血流シンチグラムの結果を総合すると、ほぼ確実に急性肺血栓塞栓症であることを推定することは可能です。しかし急性肺血栓塞栓症の診断を間違いなく行い、治療に移るためには、肺動脈の中に血栓が存在することを確かめなくてはなりません。
この確定診断のために、以前は肺動脈造影という、患者さんに危険が伴い負担の大きい血管撮影法が行われてきました。しかし、最近は超高速CTという方法によって、短時間に、患者さんの負担も少なく、肺動脈の中の血栓を写真に撮ることが可能となっています<図5>。
間違いなく急性肺血栓塞栓症と診断されれば、次は、まだ足の静脈に血栓が残っているかどうかを確認する検査が必要になります。そのために血管エコーという検査が行われています。
このように、以前は診断が困難とされていた急性肺血栓塞栓症も、この病気の可能性にさえ思い至れば、最近の診断機器の使用によって比較的容易に診断できるようになっています。
血液が固まりやすい体質か、
血液検査でわかります
急性肺血栓塞栓症はどのように治療するのでしょうか?
この病気の本質は、肺動脈が血栓によって閉塞してしまうことです。従って急性肺血栓塞栓症の治療のポイントは、詰まった血栓を内科的に薬を投与して溶かすか、外科的に直接取り除き、肺の血液の流れを回復させることにあります。主な治療法を紹介しましょう。
A:抗凝固療法
肺は血栓を溶かす機能が高い臓器といわれ、肺に飛んできた血栓は小さければ数週間~数か月で自然に溶けてしまいます。
自覚症状が比較的軽く、肺や心臓の機能があまり障害されていない急性肺血栓塞栓症は、飛んできた血栓があまり大きくない可能性があります。そこで血栓が大きくないことが超高速CTで確認されれば、血栓がこれ以上できないようにする薬を用いて経過を見る抗凝固療法という方法が採用されます。
使う薬は、病気が発症した直後はヘパリンという薬を点滴で投与し、一週間ほど経過をみて、血栓が自然に溶けてきているようなら、ワルファリンという口から飲む薬に切り替えます。ヘパリンもワルファリンも血液を固まりにくくする作用を持っています。
ワルファリンは、急性肺血栓塞栓症の原因が手術やカテーテル検査後のように、きっかけがはっきりしている場合、3~6か月間続けた後に中止する方法が推奨されています。しかし、先天的または後天的に血液が固まりやすい体質の患者さんや、癌治療中の方、肺の血管が狭くなり肺動脈の血圧が上昇した肺高血圧がある方などでは、ワルファリンは一生続けるほうがよいとされています。
B:血栓溶解療法
急性肺血栓塞栓症で詰まった血管が広範囲の場合は、体の中の酸素の量が極端に低くなったり、低血圧やショック、失神したりする重症の方がおられます。このような場合は、抗凝固療法だけですと致命的となる危険性があり、詰まった血栓を積極的に溶かす血栓溶解療法を行う必要があります。現在、血栓を溶かす作用を持つ薬として、ウロキナーゼ(UK)や組織プラスミノーゲン・アクチベーター(t-PA)という薬が、点滴や1回の静脈注射で使われています。
詰まった血栓がまだ新しい場合(新鮮血栓)は、これらの薬が極めて効果的で、血栓は短時間で溶け、自覚症状は比較的急速に消失することが多いのですが、血栓が多いときや比較的古い血栓(陳旧性血栓)が混在した場合は効果が不十分な場合もあります。また、これらの薬は積極的に血栓を溶かしますので、体の他の部分の血管が破れて出血する合併症(特に怖い合併症は脳出血です)を伴う危険性があります。
そこで血栓溶解療法は、薬を使う必要性と使ってはいけない場合(禁忌)かどうか、十分に検討し、合併症の危険性を十分に患者さんや家族の方に理解していただいたうえで行うことが求められています。
C:カテーテル治療、肺動脈血栓摘除術
心臓が停止した状態や、症状が極めて重く内科的な治療を行う余裕がない場合には、直接血栓を取り除く治療が必要です。
心臓血管外科がある病院では、肺動脈血栓摘除術という緊急手術が行われます。最近では、手術前に経皮的心肺補助循環装置(PCPS)を装着することにより、手術の成績が格段に向上してきています。外科がない病院では、次善の策としてカテーテルを肺の血管の中まで挿入して、詰まっている血栓を細かく壊したり吸引したりして取り除く治療が行われることがあります。しかし、これらの方法はいずれも高度の技術と設備が必要で、どこの病院でもできるわけではありません。
D:下大静脈フィルター
急性肺血栓塞栓症では、肺に詰まった血栓の治療と同時に、足の静脈にまだ血栓が残っているか否かの検査も行われます。これは飛び残った足の血栓によって、2回目、3回目の発作を起こす可能性があるからです。
次の発作で致命的な病状に陥る可能性がある場合は、下大静脈フィルターという網のような装置を、静脈の心臓と血栓が存在する部分の間に入れて、これ以上血栓が肺に飛ばないようにする治療を行うこともあります。下大静脈フィルターは一次型と永久型があり、必要に応じてどちらかのタイプを使用します。
E:補助的治療法
急性肺血栓塞栓症では、肺血管が閉塞していて体の中に酸素が十分取り込まれない状況が生じることをすでにご説明しました。そこでこの病気の急性期には、不足した酸素を補うため酸素吸入療法が行われます。また肺動脈の血液の流れが低下すると右心室に負担がかかって心不全が生じ、体を循環する血液が不足して血圧が低下したり、体にむくみが生じたりしますので、強心薬や利尿剤を必要に応じて使います。
車の長距離運転も注意しよう
急性肺血栓塞栓症はどう予防すればよいのでしょうか?
エコノミークラス症候群の予防法は(1)航空機で長時間の旅行中、十分な水分を摂取する一方、脱水を招くアルコールやコーヒーを控えること(2)足を上下に動かすなど適度な運動を行うこと、とされています。席から出にくく、トイレに立つのもおっくうになりやすい窓側より、すぐに立って歩ける通路側の席にするのも予防のこつです。
現在、医療の現場で急性肺血栓塞栓症について一番問題となっているのは、手術やカテーテルなど医療行為に関連して発症する急性肺血栓塞栓症をいかに予防するか、ということです。日本での術後の急性肺血栓塞栓症の発症頻度は、調査によっていろいろですが、全手術例の0.03~0.09%程度とされ、産科や整形外科手術で比較的多い傾向がみられます。また術後の急性肺血栓塞栓症は死亡率が高い(30%程度)とされています。
そこで最近、予定される手術内容と患者さんの持つ危険因子を総合して、静脈血栓塞栓症が生じる可能性をランク付けし<表3>、それに応じた治療法を選択する「予防ガイドライン」が発表されました<表4>。これから手術を受ける方は、担当医とよく相談してどのような対策を行うか決めることが重要となってきました。
急性肺血栓塞栓症は、飛行機中で血栓ができるエコノミークラス症候群がよく知られてきましたが、実は地上でも、とくに医療の場でも起こりうることがわかってきました。いったん起こると怖い病気ですから、予防のための知識を一般の方も十分に心得ていただきたいものです。
表3 手術にともなう静脈血栓塞栓症のリスク
肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)
予防ガイドライン-ダイジェスト版より
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